参加者投稿

森田雄三 様、イッセー尾形 様、森田オフィスの皆様

前略 昨日までのつくばワークショップに参加させていただいた吉田です。というか「社会党」です。39年間の人生で、絶対に一番なんかではありませんが(笑)、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。早速(謎めいた)カアキネンさんが、昨日分までのレポートをホームページ上にまとめてくださったので、懐かしく思い出しながらひとしきり目を通しました。

自分にとっては、まず参加前の「人数を絞るための質問状を考えよ」に驚き、これで落とされるのかと思って必死に考えて書いて送ったのに、結局誰も落とされていなかったのは(少なくとも見かけ上は)、嬉しいような戸惑うような心境でした。あとWS初日の印象(というか衝撃)は大変大きかったです。あれはどう考えても集まりすぎでしょう(笑)。「ゆるーく無謀」と言う状態を、初めて現実に見ました。今思い出したけど、やたら謝らされてた人の良さそうなお母さん、すんごくかわいそうだったなぁ。あれトラウマになるんじゃないのかなぁ。突然「隣の人を褒めて!」というのが私に与えられた最初のお題で、その出来がどうも納得できなかったのを、次の「ギリシャ語で喋って」で相当頑張ってやってみたのですが、結局「アジア系だったね」とか言われました。「自分の考える一番高いものを言って」というお題には「あのころ」という自分では快心の回答を用意して待っていたのに、直前に「今買いたい本の名前」に変えると言われて、時間ギリギリで口をついて出たのは「杖の行き先」という言葉でした。これ、自分では結構気に入ってます。

しばらくアメリカに住んでいる頃に、ハンディキャップの人たちに対する接し方が日本とはずいぶん違うなぁと感じることが多かったです。あっちは少なくとも即物的には優遇されてることが多く、駐車場は必ず店のまん前だし、コンサートは常にアリーナ席、ものが安く買えたりとか。だからと言って「俺もハンディキャップに生まれれば良かった」と言ってる人は居ないと思いますけど。とにかくアメリカのdisable達は常に外に出たがるし、予定調和とはいえ一応それを成立させるようなシステムをとりあえず社会は作ってあるように思います。私も今回間近で「足一本のパワーを他の部位に回すだけで、人間はこんなに元気になれるのか」と気づかされるのですが、自分の目の前に転がっていた黒く長大な器具を「見ていない」と言うことが出来ないし、そう言う必要も無いだろうと思ったからこそあの言葉だったのかなぁと、そう宣言したかったのかなぁと、社会党精神は頭でっかちに考えます。

そっから先はもう見ての通りの体たらくだったわけで、昨日の打ち上げでスタッフのとある方に「「あの人は、あそこまで言われて何で帰らないんだろう」って裏で言ってたんですよ」と鈍器のような告白を久々に聞かされました。恐ろしいほど芝居感の良い出来た息子がなぜか誘ってくれて、彼と初めて組んで舞台に上がったときに、森田さんに、
「あなたはどうしても出来ないね。でもこの人は舞台には出すよ。」

と言われた気がするのですが、あれはどういう意味だったのか、何を私にやらせたかったのか、未だによくわかってません。その夜から、普段かかない寝汗をかいて明け方に目が覚める日が連続していたことを、今あえて言いたい。もう公演無いのに今朝だってそうだったのは、もっと言いたい。とにかく「打ち合わせをするな、この二人は練習しない方が良い」と森田さんがしきりに言うので、真面目な私たちはそれを忠実に守っていたので、舞台に上がるたびものすごい緊張感でした。お気づきのように、私は間違いなく根っからの「段取り派」なので、どうしても決めてしまいたくなり、無理やりでも自分の「用意してきた」流れに持っていこうとした意図が、たまたまうまくはまったのが初日の「リハ」で、それに過信して完全に思惑が外れたのが初日の「本番」でした。初日の時点で既に「二日目の悲劇」を体験していました。

その夜、初日打ち上げでイッセーさんと直接お話させていただき、すごく大事なアドバイスをもらって(当然秘密)、もう息子をこっちに引き込もうとするのをやめようと、僕が彼にあわせようと、彼のことをものすごい好きになろうと考えて、怒りながらでもやっぱ好きみたいなキャラでいこうと、姑息な素人は考えていました。当日になってイッセーさんに登場していただけることがわかり、あまり変化をつけないように自分なりにそういうキャラで演じたつもりなのですが....。

出来はもうこれは満足です。でももし今日またやってたら、間違いなく10倍良かったと確信してるし、その自信ありますけどね、怖いほど。でも一週間後は、絶対に落ちてるだろうなぁとも思います。恐る恐る訊いた森田さんの感想が、「あそこがスタート地点なんだよね。あそこから始めたら、いろいろ出来て楽しいよ。」だったのは、すごく真実味がありました。たぶん共演してくれた彼も一緒だと思います。家に帰ったら、観に来てくれていた小二の娘がこっそり教えてくれました。「お母さん、笑いながら、なんかちょっと泣いてたよ。」って。

「正解が存在しない」というか「正解の存在を許さない」芝居を、プロフェッショナルとしてやり続けることって驚異的です。前日に見たまさに痛快な、やれば絶対に受けるであろう芝居をバッサリ捨てて、とにかく何かしら変化させていくのは、チャレンジ精神とかいう上っ面の言葉では表しようの無い「業」みたいなものを感じましたけど。でも研究者だって結構大変なんだとやっぱり言いたい(様な気がする)。

今日書いてしまわないと、きっとちゃんと伝えられないと思ったので、散漫になるのを承知で書きました。これを読む方がホントに居たら、我ながら長々とすいませんでした。これからのさらに七ヶ所でのワークショップ、きっと森田さんは面倒くさいとぼやいているのでしょうが(私なら絶対断る)、益々「森田教」を布教すべく(私はたぶん信者ではないと思いますけど)、どんどん素人(特に多くの役者憧れ人たちを)をバッサバッサやっちゃって下さい。

最後になりましたが、無謀そのものともいえるこの野心的イベントを支える、数多くのスタッフの皆さんの暖かさを感じない日は、一日たりともありませんでした。ホントにありがとうございました。さらに拙いからこその我々のぼんやりした寸劇に参加しようと思ってくださった、イッセー尾形さんに深く深く深く深く感謝します。イッセーさんのバイオリンの演奏もとても素敵でした。初日乾杯で直接お話させて戴いたこと、これは間違いなく一生忘れない思い出です(息子(仮)もそう言ってました)。ありがとうございました。

最後にやっぱり訊きたいです。

「森田さんは、ホントはどこに向かって行くのですか。その杖の行き先は何処なんですか。」

皆様、くれぐれもご自愛くださいませ。

草々

焼肉父@つくば より

一応、観劇もしていた出演者です。「不良娘さっちゃん」で。

森田さんは私を演技経験無しなプチギャルっ子みたいな言い方をしていましたが実は私、高校時代は演劇部です。嫌われたくないので内緒にしてました。
人数の多い部で、いつもオーディションで役者を決めてました。
でも毎回毎回落とされてずーっと小道具とパンフ・ポスター制作係。
練習は毎日欠かさないし、体だって運動部以上に鍛えまくってるのに、何故!?

……今ならなんとなく、落とされてた理由がわかります。
そりゃ演出は私を選びませんよ、フツーなんですもの、あはは。
イッセー流の方が肌に合っていたようです。

では感想です。

出演するのを忘れてしまう程、舞台に見入ってました。
練習から二回目の公演まで、全く同じものが出来上がらなかったんですから。
こんなの普通の舞台ではなかなかありません。
見逃したらもう二度と見れない、そう思うと目が離せませんでした。
初めて「演劇は生きている」のを実感しました。

ビックリしたのは、あの「父と娘」を見て感動した、と言う意見を聞いたことです。

お父さん世代や年配の方からよく言われました。
こっちは家にいる感覚でやったことだったので、何と申せば良いのやら。
「よくあんなに言えるよね」とも言われたんですけど、 私は家に居る時の感覚で言葉を発してただけなのでやはり何とも言えません。

とにかく、私にとって現実のような夢のような、不思議な時間でした。
そして同時に死ぬほど楽しい時間でもありました。
あと2、3回は出てみたかったです。

またワークショップがあるなら、時間が許す限り参加したいと思います。
今回の参加中にすでに考えていた他のネタがあるので試してみたいですし!
(きっと「はい残念、駄目」でしょうけど・・・)

すみません、言葉や文章が拙いので読みにくい点は勘弁して下さい。
また是非、イッセー尾形・らの皆様に出会いたいと思います。
ありがとうございました。

●余談●
公演後に誰かから「お父さんはこれ見てたら何て言うかな」って言われて初めて気づきました。
なんと私、ワークショップどころか公演に出ることさえ父に話してなかったのです!

素で忘れてました。
今更ながらリアルな芝居だったなぁ・・・と思います。