おとぎ話の日常

ワークショップはすでに昨日始まっているが、私は今日宮崎に入る。

羽田ではいつもの様に金属探知機をとおる時、いつもの様に「反応があるのでこちらへ」と言われ、いつもの様に何分にもわたって痴漢され、いつもの様に「飛行機はもう絶対に嫌だ、帰りは絶対電車だ」と思いながら飛行機にのった。到着後も続くいらいらは、外の太陽に溶かされ、劇場に入るときはすでに何処かへ消え去っていた。何年かぶりの宮崎は、都会とちがって暖かくおっとりしている。

今日の稽古は「宮崎の神話や伝説で知っている事を話して見て」から始まった。昨日の続きらしい。先ずは神話や民話、伝説にまつわる言葉だけでも良い。知らない人や、恥ずかしがる人は「パス」してもかまわない。

次は、「知らない」組に「知っている」組をインタビューしてもらう。演出家の森田は、「ラジオでは五秒以上の沈黙があると、故障だと思われるから、そのつもりで直ぐ話すのよ。出鱈目でもいいから」と助言するが、最初は照れてなかなか話せない人が多い。そこで、森田は参加者の中にいる地元ラジオ局のアナウンサーを聞き手に指命すると、「知っている」組がほんのわずかしかなかったはずの知識を延々と話せる。さすが本職の特技だ。

アナウンサーなら話は簡単だろうが、問題はそうでない参加者を、どうやってたった四日間で遠慮せず人前で話せるように指導するかだ。興味があって来てみたものの、今までの認識とはまったく違う、台本のない「演劇」に出会って、戸惑うのも無理はない。

人は会話をする生き物だ。相手の言葉に対して言葉での返事をしないのも場合によっては立派な「会話」だ。有る程度の余裕をもってもらえれば、観客も興味をもってくれるし、力になってくれる。これがわかれば舞台上で伸び伸びと行動が取れるようになるはずだ。

きっかけはつくばの時と同様、「方言」だった。森田がなかなか落ち着かない参加者に、「宮崎べんで話してみて」と言うと、すぐに変化が現れ、なんとなく肩の力が抜けたかのようにみえる。

方言の使い方には明らかに個人差がある。おそらく幼い頃から「標準語を話せ」と言われて育った参加者もいれば、ばりばりの「方言家族」に育った者もいるだろう。しかし、どちらにせよ宮崎人にとっては聞き慣れた親しみやすい言葉だ。意図的に避けるよりも、意図的に選ぶほうが生き生きとするのは当然だ。他地方の者にとって分からない部分があっても、その抑揚が心地よい。

イッセーさんも、休憩の時受けたインタビューでこの方言の特長に触れ、後で全員にその事を話した。

「宮崎弁って、なんだか不思議な感じの言葉だ。こう、歌のような、音楽のような音がして、おだやかで。宮崎弁で死んだ人が帰ってきたと言われても、全然信じられるような、そんな感じがする。」

この言葉を展開してみると、面白い事が出来そう。おとぎ話をつくっても面白くはないが、日常の中に自然と溶け込む不思議な出来事なら、宮崎ワークショップのおだやかさを引き出すテーマにもなりえるかもしれない。

イッセー、少女、インタビュー
アマテラスに関してインタビューを受ける少女のイラストを描くイッセ

マイクを持つ森田の後ろに女性二人
慣れない事は、自分の番が近付くにつれは緊張する

眼鏡の男性二人
数少ない男性陣はそれぞれ個性的だ。今回は名札で名前がわかるが、いきなりつくあだ名で呼ばれることもおおい

笑う黒Tシャツの少女
東京ではあまり見かけなくなった、両手で口を抑える思い切った笑いが可愛い

考える女性二人
課題を考える時の表情がゆたか

椅子に座る二人を見る参加者
始めての即興。皆の前なので、さらに緊張する