青い空
まだ手探りではあるが、参加者達の即興劇には確かな雰囲気が感じられる。前置きを徹底的にカットするだけで、切れの良さがちらほらと見え始めている。
作品は、職業の話は基本的にさけることになる。かといって、家族中心の劇でもなさそうだ。大多数の戯曲の題材はは友人や恋人などになりそうだ。戯曲の展開は参加者達しだいだ。支離滅裂でもいい。どちらかというと、最初は筋を立てない方がいい。筋をまえもって決めると、行き詰まってしまうからだ。生き生きと演技さえすれば、演出家の森田が生まれてくる場面をみて、見え方や流れのによっては設定を変えるなどして発展させる。
参加者達は森田の指示通りにすると場面が引き締まり、方向性がうまれる。「目の前にみえるものを言って」というと、舞台にいる男性が上を見て、「あ、空が青い」と言う。その言葉の唐突な当たり前さに見ている皆が笑いだす。男性と相手の女性がしばらく前にいるものを言うと、はっきりした風景や空気が見えて来る。成功だ。
しかしその次の幾つかの組は上手く行かない。何度指示されても、見えるものではなく、それに対する疑問や感想等を言う。森田はしばらく頭をかしげるが、やがて何かを決断したように声の調子を変えて喋りだす。
「分かった。君たちがそうとう差別意識がある事が。青い空の人、ちょっと立ってくれますか。」
青い空の人が立つと、森田は話を続ける。
「彼を見て下さい。自分たちが彼とは違うとどうしても言いたいのは分かる。無口だし、気難しそうだし、殆どの皆よりも年上だし、何となく場違いな空気がある。だから彼が単純に「青い空」と言うと、皆がもっと難しい事を言って優位に立ちたいのは分かる。でも見たでしょう、彼の場面が形になった。それに比べ、一所懸命インテリな事を言おうとする君たちは空気が作れないから発展ができない。」
森田が話すと、恥ずかしそうに立っている青い空の人は左手で右手の指を掴み、無口に森田だけを見続ける。確かに最初に円陣を組んだ時から目立つ存在だった。決して役者志望には見えない彼は、順番が来ればはなすが、自分からは積極的に飛び込む気配がなく、ずうっと控えめに後列からワークショップの展開を観察して来ている。
「このワークショップでは芝居を四日間で仕上げるわけだ。そもそも無理な話だ。それを可能に出来るには、自分のなかにある記憶やイメージや実感を組み入れて構成するからだ。そこで人生経験がものをいう。だから、彼と最年長のお爺さんみたいな人がとても貴重な存在になるのだ。彼らがいるだけでもイメージが湧いてくる。それを敬遠するあまり、成功している見本を見ても違うことに走ろうとする事が俺にはわからない。」
稽古は続く。舞台上の参加者が目の前にあるものを言うと、見ている方がそれに合わせて背景音を出してみる。予想以上に効果的だ。一度「烏カーカー」のような漫画めいた音を注意されると、皆が本物に近い擬音を出すようになる。ウミネコの鳴き声などは、強烈に海辺の記憶を呼起こすほどだ。
豆腐屋のらっぱが遠くに聞こえる夕暮れに、別れ話をする男女。捨てられた女は立上って、歩き去ろうとするが、急に振り向いて「何それ」と攻撃にでる。
タオルケットが朝起きた時のままに放置されている部屋で暮らす男。女が謝る。竿竹屋が通り、蝉が鳴く。一緒に暮らしていた時の話をする女。「あなたの事は大好きだった。でもあたしにはどうしてもやりたかった事があったの。ポケットから何かを出して女に渡す男。女はそれを受け取って、大事そうに胸に抱く。
群衆の場面にも挑戦して見る。小倉で皆が知っているような場所の雰囲気を作るには、どんな人を出せば良いのか参加者達に考えさせると、のって色々実験して見る。これも上手くいきそうなので、幾つか本番に採用されそうだ。

小倉では映画は2本立ての安さと気取りけのない観客の自由奔放な行動で有名な映画館。上品な映画観賞には不向きらしいが、演劇的には面白そうな場面だ。

噂の青い空の人。このワークショップの作品は即興劇から生まれる。想像を膨らますには、先ず目の前に浮かぶ風景を口に出すのも有効だ。だから最初の言葉が「青い空」だけでも、その時の気持によっては鴎、雲、波雫や雨上がりの濡れた校庭等が思い浮かぶ。

挑戦が成功すると演出家も喜ぶ。上手くいかない時の駄目出しは厳いが、受け入れる余裕さえあればこれもまた楽しめる。

観客が想像するのは姉妹か同僚か学友かは役者の姿勢や座る位置で決まる。

ずうっと側から観察しているイッセーも時折コメントをする。森田とともに全体的な雰囲気や流れを読みながら自分の解釈や助言を付け加える。

このワークショップではほぼ皆が他人同志だ。先入観がない分、誰もが何にでもなれる。失敗してもいいから、挑むが勝ち。

舞台上で演技をするのも重要だが、見てるのもそれと同じぐらい役に立つ。