回り道
新宮は初めてだが、ここの学校に通っていた友人から当時の話を聞いている。彼が通っていた高校にはかなり活気の良い学生が多かったようだが、学校側では進学を目指す生徒も、夜の町で喧嘩を売っては警察に追われる生徒も分け隔てなく大事に守っていたそうだ。その学校だけなの気質だったのか、新宮そのものの土地柄か、人を枠にはめずにいられる余裕が感じられる。随分前の話なので町もかなり変わっているに違いないが、どんな人が来るのか楽しみだ。
六日の稽古が台風の影響でキャンセルになり、一足先に来ていた熊本からの交通手段も断たれたので、結局会場に着いたのは今日のワークショップが始まる一時間前だ。楽屋前ではソピア新宮のスタッフが飲み物やお菓子をならべている。他のスタッフも既にホテルを出発しており、着くまではあと十五分だ。荷物を整理して一息をつくと、もう廊下から「お早う」と元気な声が聞こえてくる。
聞く所によると今回の申込者は120人だ。単純に2で割ると昼の部は60人のはずだが、実際に来ているのは40人弱。夜の部の方が多いが、昼夜合わせても100人弱のようだ。
四日間の稽古で芝居を作り上げる企画が、台風のため三日間の稽古になったので、不安になり参加を断念した人もいるだろう。顔には出さないものの、演出家の森田も少し緊張している。それもそのはずだ。何と言ったって、この一日は四十日間稽古をつむ普通の芝居なら十日間に値する。
森田は、早めに新宮の風土を掴もうとしてか、昼の部の参加者に普通は聞かない背景や職業を聞く。いつもなら「何かを言ってみて」から始まるはずが、今日は少し具体的に「なにか名詞を言ってみて」だ。また、全体のテーマを探る方に集中しているだろうか、いつもなら駄目出しの対象となるはずの言動も多少大目に見ている。テーマはゆっくりと待てば現れて来るが、今回は早めに突き止める必要があるのはわかる。
新宮ワークショップでは全般的にお父さん達の影が薄い。安定した職に付いていて、何十年も同じ職場で働いていながら、家族にとって当り前な存在になっている家庭が多いかもしれない。そこで意外な行動を取る父や、家族を大事にしていた事がひょんなことから分かる等の課題を出してみるが、なかなか発展しない。
ワークショップの課題には正解はない。うまく行けばそれで良いのだ。ただし、この事が分かるまで時間がたつ。何かの課題で一人が成功すると、次の人は同じ事をしようとする傾向があるが、人真似は袋小路だ。いま探ろうとしているのは各自の中にねむっている記憶と独自の感覚だ。
無理をして急ぎ過ぎているかもしれないので、一歩引いて、徹底的に「思い出す」作業を繰り返すことにする。
一日目の稽古が終わりに近づくころ、ようやく活気が湧く。「だれも聞きたくない話を永遠と繰り返す人」を思い出し、その口調と雰囲気を再現してみる課題がきっかけだ。同時に聞き手側をも演じようとすると森田が「話し手だけでいい。間を取れ」と指示をする。参加者たちが今までにない自信をもって話す。次から次へと進むうちに時間をわすれて、ようやく時計を見ると、予定時刻を三十分も過ぎている。会場の好意で続けさせてくれているが、今日はもう終わりにしなければいけない。
自分の番を待つ参加者の中には残念そうな人と、少しほっとしている様子の人もいる。最後の十数人が余りにもうまく行っているので、試したいながらも躊躇っているかもしれない。「こんなに皆が出来るようになったから、もう君たちも出来るよ。あしたまた続けよう」と森田が締めくくる。
台風の影響がおおきかったので、今回は時間との勝負になる。しかし、焦りは禁物だ。ゆっくりと、一見あてもなく進む方が目標に早く付く場合もある。

台風の為、稽古時間が一日短くなった。緊張しているのか、いつもよりも口調が丁寧な森田。

初めは、連想ゲームのように言葉を組み立てる頭の柔軟運動。面白い表現は笑いをさそう。

三日だけで演劇を作り上げるには、演じようとする人物のひな形が必要だ。どこまで記憶を呼覚ませるかが重要。今日の稽古の最大のポイントは「思い出す」事だ。

参加者を観察するイッセーさんは真剣だ

イッセーさんが観察する参加者も真剣だ

稽古時間が伸びても怒らないそぴあ新宮の館長さん。自ら参加せずとも、ずうっと側から見守ってくれる。ありがとう。

台風のせいか、参加者が予定よりも少し減り、その分うまく行けば出演のチャンスがが増える。ただし、一日の遅れは厳しい。明日からの稽古が楽しみだ。
Re: 回り道
あの大型の台風が九州を直撃をした9月6日が稽古(ワークショップ)の初日だった。中止の電話を頂いたが「まぁ別にね」と云った感じで受話器を置いたような気がする。そして翌日7日"初日"。昼の部には顔を出せないので、夜の部からの参加となった。それも僕は1時間も遅刻して会場入りした。既に演出家の森田さんを軸にグルッと円陣が出来上がっていて、僕はその円の外のパイプ椅子に腰掛けた。明らかに女性が多い(世の男らはその時、何処で何をしていたのだろう?)。円の中心で森田さんが新宮町の土地柄を掴もうとしている様を眺めながら僕は知った。台本など始めから存在してないと云う事と、それはおろかテーマさえ決められていないと云う事を。何かの影がおぼろげに揺れては立ち、消えてゆく。それを繰り返しながら森田さんを囲む円周は縮まってゆく。イッセーさんは円陣の外で衛星のように見守っている。爪の先程のテーマが見えた時に森田さんがイッセーさんに振ると、彼は戸惑いながらも告げた。「んーもっと別なものの方がイイかも」と。
「じゃ、お父さんが仕事を辞めたとしようか。その理由を、家族で話し合ってみて」とのお題が出た。それなりに皆が答えていたよう見えたが、森田さんはこんな風に紐解いてみせた「ここの土地柄なのか…お父さんが会社を"辞めた"のではなく"辞めさせられた"としか出ていない。お父さんは一生定年まで働くものだと云う下地の上に立っているように想える」…なるほど。そっか、そうなのかも知れない。そのお題は続き、次に答えたのが夫婦で参加していた知人の女性だった「…お父さんの事だから何か考えがあっての事だと想うっちゃんね。お父さん、連絡取れなくなって何処におるかも解らんけど、大丈夫。きっと帰って来る」。森田さんが切り込む「はい、じゃお父さんは死にました」。彼女は素に戻って返す「死にません」。森田さんが返す「だから、芝居なんだからぁ」… と、急に彼女がウワァ〜と泣き崩れたのだ。そこから、森田さんは手を差し伸べるのではなく彼女の意志で立ち上がらせようと演出を始める。彼女を奈落に落とすのではなく、奈落に眠る彼女を引っ張り出そうとしている。傍にいたご主人がハンカチを差し出す…僕はその一部始終を見守りながら「オレはあんな風に出来ない」と達した。きっとせせら笑うぐらいが関の山だ。世の中を役者と製作する側の2つに分類するなら僕は恐らく後者だろう、と訳の解らない言い訳にしがみつく。あんな風に感情を曝け出せる彼女が羨ましい。休憩をはさんだ時に聞くと彼女は「家族がいなくなるのが一番辛い」と打ち明けてくれた。それを見ていた参加者が「彼女、女優さんですか?」と声をかけて来た。「あ、違いますよ」と教えたのだが、あれが演技と映った人がいるとはまさか想わなかった。
再開。「同じ話を永遠と繰り返す人を演ってみて」と云う問いに何人かが水を得たように泳ぎ(喋り)出す。誘発されるように僕は田舎の義理の父を想い出していた。彼は僕が家に着くやいなや「ご飯は、食べたんかね?」と云う。僕が「たった今食べて来ました」と云うと、お盆にみかんを乗っけて「むいて食わんかね」と返す。「あ、すみません。じゃぁ後でまた頂きマス」と云うと「そっかぁ、おかきとか開けて食べてええよ」と「クッキー食べんかァ?」と続ける。例えばTVを見ていてCMに入ったりするとまた義父は同じように「アレ食べんかね、コレ食べんかね」と切り出して来る。僕と義父の間にはそんな会話しかない。その時は内心「助けてクレ」などとも想う、でもそれを想い出すと不思議と暖かい気持ちに包まれる。その事をこの場で喋ってみたいと想った。だが、森田さんの質問は僕の順のかなり手前で終了した。「うん、そう云う事ね。もういいね、これだけ出来れば皆も大丈夫。出来るから」と云い残して。同じ質問で円を一周させるなんて無駄なのだろう。確かに誰かに質問をしている間に他の誰かは色々考えているもので、順が回って来なくとも十分に僕らは考えているはずで、つまりそれで十分なのだ。無駄な時間を浪費するよりは、また別な質問に換えて僕らの頭をシェイク(混乱?)させながらその人の個性をより引き摺り出す方が懸命なのだ。しかし何と怖く奇妙で愉快なミーティングだろうか。森田さんは「次。はい次…」と席の順にマイクを渡し質問を投げながら、参加者らが何処かに置き忘れて来た記憶を呼び覚まそうと努めているようだった。