補助輪
時間が限られているので、参加者の中には昼の部夜の部関係なく来てくれている人が多い。今日の昼の部は、昨夜の稽古に参加した者を前に集め、もう一度「喋る人」をしてもらう事から始まる。やはり昨日と同様喋れる。まず一安心だ。
次は参加者に少し歩いてもらう。面白い歩き方を発見すると、演出家の森田が、「そこのヨッパの子、出ておいで」と呼びかける。最初はだれも「ヨッパ」が何の略であるか分からないが、自分こそが何故か「ヨッパ」ではないかと思う女性参加者が数名いるようだ。彼女たちが自分にどうして「ヨッパ」という形容詞が当てはまると思っていたのかは聞きそびれて残念だ。
やがて混乱が解消され、正真正銘のヨットパーカーの子が前へ出る。今までどおり、彼女が歩き方を披露し、他の参加者がそれを真似るが、驚く事に参加者全員がこの課題を難なくこなすのだ。程度の差はあれど、ちゃんと他人の歩き方になる。皆、感が思っていた以上に良いようだ。
歩きの後は、「立つ」事に挑戦する。一人で家の中で立つ時の姿勢と態度と、他人と外で立つ時の姿勢と態度とは当然違うはずだ。何人かにこの違いを表現するのに挑戦してもらう。明らかに「外」にいるように見える参加者の側にあと二人立たせると最初は他人である筈の三人がいつの間にか兄弟に変わり、それなりの会話をもこなす。しかし、そこからの発展がないので、全員にもう一度円陣を組んでもらい、ゆっくりと話す稽古を続ける事にする。
次のきっかけは「ペット」だった。とめどなく喋る人を演じてみると、そのうち話し相手がペットである人が現れ、一人の参加者がそのペットが隣の席にはみ出す演技をしていると森田が「隣の人をペットにしてみて。触らなくて良いから、ペットだと思って話しかけるのだ」と言った。
この実験は条件付きながらも成功だった。相手がペットだと話しやすいようだ。また、ペットとして優秀な参加者もいる。一番印象に残るのは演技をし過ぎずに、ふてくされた老犬を見事にこなす女性参加者だ。
しかしひらめきが良くても、やはりそこからの発展が見受けられない。なぜだろうと考えてみるが、はっきりとした回答が見つからない。唯一思い当たるのは昨日も見受けられた「人真似」現象だ。一人が何かを実験して上手くいくと、「その方向が正解か」と思い込み、どことなく同じ事を再現しようとする参加者がいるのは確かだ。真似る行為自体は悪くはないが、「正解」のない課題に他人の回答を当て嵌めれば二番煎じになりやすいのは当然だ。
とはいえ、自分のペースを掴むまでには時間がかかるのも分かる。補助輪も自転車のりには邪魔な存在でしかないが、全くの初心者にとってはその邪魔な存在こそが頼りだ。しばらく補助輪を付けた方が自信が付く一方、早く外した方がバランス感覚が発達する。
森田はこの事に気付いていない訳がない。彼の演出家としての課題は、参加者からその補助輪をいつ奪い取るかだ。時間が余りにもないなか、やはり「急がば回れ」を徹底して実行しているだろう。とはいえ、明日は最後の稽古日なのに、未だ出せそうな作品は一つも出来ていない。この企画の発起人である今尾君がいつも浮かべているほほ笑みも少し震えているようだ。
森田の演出家としての感や能力は並外れているので彼の判断を信じ、腰を据えて明日の展開を楽しみにしてみよう。

外で立っている三兄弟。会話が生まれるまで腰を据えて待てるかが勝負だ

騒ぐ犬達と話をする女性。なかなか元気の良い二頭が明らかに可愛がられている。

無反応な老犬に話をする参加者。老犬役の女性は中々肝が座っている。

「君は可愛いのにどうしてそんなに凶暴かね。またあたまに怪我して。弱いくせして喧嘩ばかりしおっとからよ。」

なかなか発展しない状況をゆっくり見据えて、次の段階へ進む為の糸口となるきっかけが現れるのを待つ森田。穏やかな口調だ

公演に組み込める作品はまだ出来上がっていないが、進歩は確実に見られる。演技から目をはなせない場面もしばしばある。

参加者達に助言をし、例題を出すイッセー。長年の経験から既成概念を捨て、気長に待つ事の重要性を分かっている。
Re: 補助輪
2日目の夜の部も試行錯誤に右往左往と立ち昇った。森田さんは僕らを乗せて走るバスのドライバーではなくて、助手席のナビゲーターに徹す。僕らを乗せたバスは僕ら代わる代わるハンドルを握り、進めなければならない。「猫か犬を飼ってる人いる?…じゃそこに猫がいると想ってあやしてみてよ」お題はペットだ。幾つかが上手くゆくとお題も色を変えてゆく。「じゃあ、隣の人がペットだと想ってやってみて」。何か話しかけながら多くの人が「アーよしよし、オーよしよし」とあやす。皆が上手い。が、僕と犬の関わり方は少し違うような気がした…僕の実家には犬の、エスがいた。エスを僕は無性に撫でたりはしなかった。エスは僕の、友達だったからだ。父や母に接するのとは違う表情をエスも僕に見せてくれた。散歩に出ても、連れてゆくのではなく「付き合えよ」みたいな感じで誘う。エスも「仕方ないなぁ」みたいな感じでついて来る。散歩から帰る時も「帰るよ」ではなく、「オイ」と促すだけだった。気がつくと僕は死んだエスとの何気ない日常を想い出していて、温かい風に包まれていた。だが僕の番にはまたしてもならず、僕はただ座り方を誉められたに終った。
欠点だと解っている。僕は二人っきり(一対一)で話すのが得意だ。が、そこに第三者が入ると途端に引きこもってしまうのだ。誰かに自分を打ち明けているのを第三者に見られるのも嫌だし、第三者にまで心を打ち明ける機用さを持ち合わせていない。三人でいても上手くゆかないこの僕がこのワークショップでは 50名近い人の中だ、自らを曝け出せるはずない。と、マイクが回って来た。森田さんのお題は「家族でTVを見ている状況で、全然関係ない独り言を話して」。僕は答えた「こんなクソしょーもないドラマなんか観んで、温泉行こうゼ」。ソッコー駄目出しである「こーゆうのは駄目ね。人を誘うようなこーゆうの」。やはり僕には向いてないのかも知れない…森田さんは続ける。「もっと遠い所まで自分を飛ばして、そっから自分を見つめればいい」…その時にスーっと娘の顔が見えた。いっそ次は娘になって、パパ(僕)に話しかけてみようか。身近だが自分とは違う誰かを演じられれば、己を曝さずに済むのではないか。勿論そんなに上手く運ぶ保証はないが。
休憩を挟み、戻ると舞台にはテーブルがあると云う想定で椅子が置かれてあった。そこに順に4人が出て座る。そして各々が各々のタイミングで計り独り言を喋るのだ。僕らは周りの4人で前に出た。一瞬の沈黙の中から隣の女性がお母さんの独り言を喋り始めた。そして静寂。この静寂を合図に次の誰かが勝手に喋り始めるのがルールだ。喋っていたのは僕だ。「ハルちゃんね、ハルちゃんねぇ、4等になったと。一生懸命走ってもいっつもドベやったから、グーで走らんでこーやってパーで走ったんよ。グーよりパーが強いからこーしてパーで走ったとよ。そしたら4等になったと。エリカ先生が頑張ったねって云うんよ、でもね… ハルちゃんは4等じゃイヤなんよぉ。もう年長組やから1等がいいんよー…チョキの方が速いかなァ」。続いて皆がひと通り喋った後で、僕はまたしても失態を犯した。「お母さん、お弁当作ってくれる?」と隣の人に振ってしまったのだ。そこで森田さんからは駄目出し。でも僕は皆にはチョットだけウケていた気配を感じていて、チョットだけ気分を良くして立った。明日はハルちゃんで演ってみよう。
予定の時間は30分を過ぎていたとは全く気付かなかった。森田さんは最後にイッセーさんに「何かなーい?」と振る。イッセーさんは前に出て「少しだけ、見えて来たかも知れませんね」と云い。「何か云うよりは実際にやってみましょうか」といきなり一人芝居を始めた。それは「ジーコ、何でジーコはサントスばっかり使うんだろう…」と云う芝居だった。誰もが目を輝かせて、解き放たれたかのよう声を上げて笑う。「もう一つ」と云うとまた違うキャラクターに様変わりして「今年のセミはおかしい。数が異常に多い。鳴き過ぎるし、死に過ぎる」と始まった。イッセーさんはさんざんセミについてボヤいた後「オレはこのセミの異様さに気づいてるんだけどさ、皆にそれを話しちゃうきっとオレに"セミ"ってあだ名が付くだろうからやめてんだよな」と結んだ。あァこんなに笑ったのは何年ぶりだろう!。物凄いものを見た!と云う想いと、もしかすると出来るのかも知れないとの想いの中で僕は帰路に着いた。