組み合わせと想像
会場へ着き、メールチェックをしてから稽古場へ行くと、参加者達はもう二人一組で次から次へと舞台に上がっている。今までの二日間の稽古のタネが一晩休んでいる内に発酵し始めたのか、昨日よりもはるかに言葉が流れる。昨日との差が明らかなので、メールなど後回しにし、昨日と今日の切り替わりの瞬間を見たら良かったと思う。
あくまでも、既存の戯曲など存在しない演劇ワークショップだ。したがって、演出家の森田の最大の仕事は、参加者全員の想像力と記憶を引出し、自然発生的に出来て来るドラマを把握し、刺激し、方向性を与える事だ。偶発的に出来る場面であれ、参加者同志で多少の事前打合せをしている場面であれ、最初は覚束無い台詞を養って成長させるのだ。
気ままに喋る二人姉妹。お姉さんが床に転がり、足だけを椅子に乗せながら「仕事止めよう。でも止めないな」という。最近職場でなにか嫌なことでもあっただろう。妹はお姉さんの愚痴を聞き流しながら自分の事をばかり話すが、二人はとても仲がよさそうだ。それを見て森田は客席に座っている中年男性にそおっと耳打ちし、男性がうなずいてから舞台へあがる。突然かえって来たお父さんが「ただいま」というと、姉妹がのんびりと気楽そうに父を迎える。
今日ニューヨーク帰りの同級生と酒を飲んで来たお父さんが昔話を始めると、森田はまた回りを見て、今度は猫との会話が上手い女性を舞台に送る。奥の部屋から入るお婆ちゃんは縁側へ直行し、野良猫の名前を呼びはじめる。「チョマ。チョマ、どこなの。何処へ行っただろう。」
お婆ちゃんを完全に無視する他の三人の会話を続き、お父さんが駄洒落を言い出すと娘達はそれをきっぱりと拒絶する。
「このおでんだれの。おれんだ。」
「お父さん、それ絶対に会社で言っちゃだめよ。絶対嫌われるから。」
和やかな風景だ。
別の男女のぎこちない会話を見ると、森田は設定を「成り立たないデート」に変え、喋る度に相手の名前を口にするよう指示する。どう見ても結ばれる運命ではない必死な二人の姿がとても哀らしく見えてくる。
今日の展開は早いが、参加者の中の演劇経験者は少し苦労をがいる。色々な表現方法を身につけているが故、設定が決まれば出だしが早いが、演出家の言う事を素直に聞き過ぎる傾向がある。また、自分が今まで身につけた表現方法に頼りすぎて「無から物語を導き出す」に慣れにくい。今回の作品は出来上がっていないし、脚本家も付いていないので、早過ぎる段階で方向性を決める事は芽を積む事になる。「間を取る」事は、巧みにタイミングを図る手段ではなく、次の展開が自然に生まれて来るのを待つ自然な行為である事が分かるまで少し時間がかかる。
初公演はもう明日なので、森田は使えそうな作品を見ては「採用」にし、今尾君に演目表に加えるよう指示する。作品によっては訂正個所を指摘したり、助言したりもするが、いったんバラして別の人と再挑戦するようすすめる作品もある。
ゴルフのスィングを繰り返しながら「ジャックニコラス」と叫ぶボケたおじいさんを歌いながら介護するおばさんが出て来ると、森田はただ笑う。「ボケた爺さんがいても良いが、介護する方はこれならただ単に頭がおかしい人になってしまう。まあ、このチームはもういい。無視だ。大人だから自分たちも分かっているだろうし、何とかするだろう。」
ピザに試しにシナモンを入れてみるような、全体とはあきらかに異質に見える作品だ。合うかどうかまだ分からないが、本番までに全体の調和が取れれば良いし、上手く行かなければ「ニコラス」を抜けば良い。
三日目の稽古が終わると、イッセーも参加者に一こと助言をする。「明日も午前中から稽古を続けるが、本番自体にも明後日の公演の稽古のつもりで取り組んだ方が良い。」イッセーさん自身の芝居も初日から最終日まで変わり続ける。最初から「変化はあるものだ」と思えば、思い付きなどがあれば修正を加えやすいだろう。
せっかく来てもらったので、なるべく多くの参加者に出演もしてもらたい。「出たい」人には公演直前まで出番のチャンスがある。

まず二人ずつ前へ出て場面を描いてみる。上手くいけば戯曲がそこから発展し、上手くいかなければあとで再挑戦する。

客席から駄目出しする森田。言葉が厳しい時も今回はいつになく対応がやさしい。

姉妹の場面にお父さんとお婆ちゃんが加わる。組み替えてみると本番で使えそうな素材が盛り沢山だ。

イッセーも参加者に混じって舞台上の展開を見ながら自分の計画をたてている。ちょっと意地悪な出方の方がすんなり溶け込むようだ。

ちょっと異質なジャックニコラス爺さんチーム。心配ながらも風変わりな味付けとなるかもしれない。

高齢者お見合いの時、緊張している男性をいたわりながら、車にひかれる事を承知でたんぼ道横断に緒戦する雨蛙達の間で伝わる神秘めいた伝説を想像し語る女性。

稽古が進むにつれ参加者の目が真剣になる。観客が釘付けになると演者もやる気が湧いてくる。
Re: 組み合わせと想像
3日目、稽古最終日。朝から家で職場で僕は、娘(ハルちゃん)がこれまでに話してくれた事を回想していた。子供に教えてゆくのは親である。何気ない仕種からハッキリとした意志まで僕も知って知らず彼女に教えているのだろう。彼女の前には見渡す限りの地平があり、そこに樹の苗を植えているのが僕ら(大人)だ。だがフとした盲点をつかれ僕の樹海に彼女に踏み込まれ、樹の枝に触れられる時がある。すると途端に辺りの樹々も朽ちてそこに日だまりが出来上がる。固定観念とマニュアルに覆われた僕の全身からパラパラとウロコが落ちる瞬間、子供に教えられる瞬間だ。僕は朝から振り返りながら、娘が齎してくれたそんな幾つかのエピソードを想起していた。無論それは夜の部の参加に備えてだ。こうして僕は頭の中をハルちゃんで固めて、会場に着いたのだった。
着くや否や舞台はライトに照らし出されていて、壇上では参加者が演じていた。明らかに昨日までとは全体のトーンも森田さんの声も違う。知人の夫妻を見つけて何が起こっているのかを尋ねた。もう本番は明日なので試してみたい人をどんどん舞台に上げてテストしているのだと云う。これまでのようにゆっくりと森田さんが引き出してくれるもの、と乗り込んだ僕は途端に押し黙った。芝居の良し悪しは別にして皆の熱がビシビシと伝わって来る。マイッタな、僕は準備も出来ていない。と、隣の彼女から耳打ちをされた「ねェ私の夫になってくれない?」。「えっ、だってご主人とやれば…」と僕。「彼はもう真っ先に別な人と決まって、私は何度演ってもダメなんよォ」と彼女。「オレは昨夜のハルちゃんを演ろうかと、少しウケてたと想うし…」と僕、「ん〜ビミョーやったよ」と彼女。微妙?、真意を知りたくてご主人の方を覗き込む「ハルちゃん、どう想いました?」。「ビミョ〜でした」と彼。ガガーン!と鳴るも今更後にも引けず、彼女に「オレがハルちゃんで、そのお母さんは演れませんか?」と返す。「えー?私…家を買いたいっちゃんね」彼女に引き下がる様子はない。あっ待てよ…と僕は想った。ハルちゃんをあの舞台の上で演る前の"度胸付け"で彼女の夫を演じるのも一手ではないか。
会場外に僕らは避けた。彼女は、家を買いたくて色々と下調べをした様子を僕に話した。僕が隣で何を喋れば絵になるだろう?…素人の僕が真っ白なキャンパスに延々と描けるものは何か?…僕は彼女に伝える。あそこ(舞台)で喋れる事は「音楽の事か、映画の事か、それか…これはちょっと言えン」と僕は折りかけた3本目の指を元に戻す。すると彼女がその指を突き返す「3本目は、何?」。「ここだけの話にして欲しいけど、トウダイ好きなんよね」と僕。「えー!東大卒なン?」と彼女、「違うって、海の灯台って。オレ子供の頃から灯台守にね、なりたいんよ」と僕。上から下まで彼女は不思議そうに僕を眺めながら「ふーん…そやったらずっと喋れるとぉ?」、「喋れる」と僕。かくして「ここだけの話にして欲しい」と前置きしたにも関わらず、僕らは会場に戻った。順を待つ薄暗い明りの中で僕は、此処ではない何処かへゆきたいと夢見る男と、此処に家を構え留まりたいと祈る女を浮かべた。脈打つ心臓の音が耳から剥がれない。初日に泣き崩れた隣の彼女(相棒)を見て「とてもオレには出来ない」と達したはず、2日目には娘を演じる事で切り抜けたはず、だった。だが僕は今ここ(袖)で、自らを曝け出すしかなく陣取っている(マッタク、ナンテコッタ)。何処へ逃げようと何処に隠れようとも、僕は僕で立つしか術はないのか?" イッセー尾形ができるまで"に僕が辿る道もまた、そうでしかなかったのか。
「ハイ、駄目です。次、いいよ」森田さんの声に促され僕らは立った。と、森田さんはいきなり彼女に向かい「アンタさっきも出たから、また後にして」と駄目出し。「いいよ。向こうの人、演って」…またしても僕の想定は崩れて、それも今度は僕がたった一人断崖絶壁に残された。逃げ出そうにも「いいから演って」と追い討ちがかかる。顔を上げろ、と自らに言い聞かす…「ワリぃ…やっぱり、オレは灯台守になりたい!」と声を振り絞る…何も聞こえない…静寂の中から森田さんの声がする「続けて」…僕は続けて何かを喋っている…また黙り込む…「続けて」と森田さんの声がする…僕はまた何かを喋っている…そして黙り込む…「そこで歌って」と森田さんが云う…歌う?何を…「歌って」とまた促される…ララーララ〜"灯台守"の歌を僕は歌っている。「話してぇ」と云われ僕は何かを喋る…また黙り込む…「笑ってぇ」と森田さんの柔らかい声…が、とても笑えない…「何かヨんでみて」と森田さんの声…えっ、ヨムって何?… 「ほら、一句詠んで」と森田さん…オイ、この状況で何をこの人は…「詠んでっ!」と迫る声…「漆黒の…」何かを詠む声がして、それも僕の声だった… 「O.K.うん、そーいうのね。解る?ね、解るでしょ?」と云われて僕は頷きはしたが、ご覧の通り何を喋ったかさえも憶えてはいないのだった。「今尾君、コレ、いい所に入れてあげてくれる?」何をしたかは解らないが、採用となったようだ。「次やるまでにパートナー、捜しといて」と宿題を渡された。明日が本番だと云うのに。