参加者投稿

「イッセー尾形とフツーの人々(三重編)」をながめていて

 ワークショップと本番の舞台を見届けて、一週間がたちました。その間に、森田さんたちは、滋賀の栗東に場所を移し、同じだけど、またちがったことをやっていたのだと思います。横浜に戻って2日ほど、頭がほてったかんじした。ふだんの三倍も四倍ものスピードで過ぎていった出来事でしたが、おそらく忘れん坊のワタシはそういうものですら忘れていくでしょうから、思い浮かんだまま、ここに書きとめておきます。

10月2日の夕刻。本番が終わった直後の楽屋で、「ああ、やれやれ」というのと「よくがんばったよなあ」というのとが合わさった表情で、森田さんはタバコをいっぷくしながら、「ああ、明日はパンチコだな」って。常識破りのことをさんざんやってきて、ふつうの考えではできないことをわざわざ自分に課して、ワークショップの参加者にも「共同正犯」のように押し付けながら、あっという逆転劇でもって、ひと仕事をし終えたあと。そこでしたいことといったら、パチンコというのが面白い。

パチンコな一日が過ぎると、翌日からは栗東でのワークショップ。パチンコの台にむかって、玉の流れ落ちるのを見ているのも森田さん。「ちがう!」「黙る!」と立て続けに怒鳴りつけ、「間をとって」「ゆっくり、間をとって」とクラシックの指揮者のように手をひろげ、指示をあたえていたのも森田さん。イッセーさんのことを取材しはじめたときは、人をこうだと言い当てるのがジャーナリズムだと思いこんでいました。気負いもあって、人を一言で形容する。それがシャープだと。でも、人間って、そんなにわかりやすいものではない。ワークショップの何をやっているのかわからない稽古の連続のなかで、森田さんが言わんとしていたのも、そんなことでもあったように思いました。

「嫌な人をやってみて」

 始まって間もなく森田さんから、出された課題。記憶の中に埋もれていた人物の口調になって話してみる。うまい、下手じゃなく、実感が伴っていれば、何だかからない話に自然とひき込まれたり。まったく知らないけれども、ピアノの弾き方を教えている口調から、眼鏡をかけた線の細い女の先生が浮かんできたりして。それのどころがおかしいのか、わらないけれども、笑いが起こったり。なんで面白く思うんだろうと、森田さん自身が不思議がっていたけれども。ちょうどイッセーさんの芝居の断片みたいなものが、次々と生まれはじめた。

世話焼きをする親切な年配者の口調を真似たひとに、まわりから、くすくすと笑いが。そのときに森田さんは、「どうして嫌な人にあたるのか、わからない」。年上の世代からは、面倒見のいい人が、若者からは疎まれる。そのいい例で、人の受け止め方は人によって違う。「暗い人」「元気な人」という言い方はあるけれど、そういう人格の人はいないというふうなことを言っていた。それはテレビドラマの中のモンギリで、これからやろうとするのは、見方で違って見える人を演じるのだと言った。

 勝手な解釈かもしれないが、人によって見え方がちがうということは、自分は暗くてダメだと思い込んでいる人も、そんな自分を変えようと思えば変わることができるし、もっといえば、変わりたいと思うことすら必要なくなるかもしれない、ということでもあるだろう。

話はすこし戻りますが、神奈川のワークショップに参加者としてながめていたときには、ふだん取材をする側の仕事をしていて、取材を受ける側の気持ちってどんなものか、身体で感じてみたいというのが参加の理由のひとつ。インタビューの仕事をしているものの、上がり性で突然手が震えたりする癖がどうにかならないか。もしかして舞台に上がるなんてことになったら、そういうのも消えるかなと思ったのも理由のひとつ。あとひとつは、10年ほど書く仕事をしていてパターンになっていきているけれど、これでいいんだろうかというのと。ちょうどNHKのテレビの人たちが参加者にインタビューをしていたのを見ていて、どの理由を答えるのがいいんだろうかとか考えていた。

話を三重のことにもどすと、すでに恒例となった「何か、言ってみてよ」と森田さんが切り出し、「えっ、何を?」と聞き返す参加者に、「質問はしない! なんでもいいから言う」と、まるで検察官が容疑者を取り調べる口調(笑顔でですけど)。初めて経験する参加者にしてみれば、わけがわからないままに始まるスタート。しかし、これは一度経験した身にとっては、読み終えたミステリーを頭から読み直すようなもの。「えっ、何!?」戸惑っているのも、タネを知ってしまっているから、余裕をもってながめていられる。むしろ、緊張と、答え終えたあとの参加者が緊張から解けて弛緩の表情をする、その落差がおもしろかった。

舞台に椅子を5つほど並べ、「座って」と森田さんにいわれるままに腰掛けると、最初は一様に、足の内側をピタッとくっつくくらいにしていた。記憶の中の人の座り方をしてみてと言われると、構えた座り方になり、もういいよと言われ、森田さんの説明を聞いている最中は、何をするでもない、思い思いの楽そうな姿勢になっていた。それを何度か繰り返す。ここでの課題は、自分と他人との違いを姿勢から自覚するというものだったように思うけれど、自然(無意識)にしてるのと、何かしようとする(不自然)との反復、それじたいが、意味のこもったコントの一幕のようにも見えた。

印象に残ったのは、「何か言ってみて」の言葉回し。自分が嫌だと思う人の口真似で、「そんなんフツー、フツー」と早口に言っていた女性。どこが嫌だと思うのか、わからないけれども「フツー、フツー」という響き。話しおえた表情そのものは変わらない。でも、大きく息をしていて、緊張があからさまに出ていた。

一巡したあと、「じゃ、印象に残ったのをあげて」と森田さん。これが想定外な質問で、今しがたやっていたことなのに、それも笑ったりもしていた、それでも、ひとつも上げられない人、あれが面白かったと言える人に分かれ、それを森田さんは呆れたように笑いながら、「これはいい悪いじゃなく、人間のタイプだと思ってください」と説明する。

「覚えている人は、見る側の人。」

「覚えてない人は、演じたい人。」

「これから人と組んで芝居をつくっていってもらいますが、演じたい人は選んでもらう側の人で、見る側の人が選ぶ側だと思ってください。」

一見、逆だと思いがちというか。でも、積極的な人が相手を選んでいく方式なら、必ず選んでもらえない人がでてしまう。卒業記念の写真をグループで撮ることなり、騒ぎ声があがり、一段落したときには、誰からも声がかからず、出席簿の一番だったワタシと二番だったTくんとで二人、校舎の屋上で写真に収まったのをふいに思い出し、同時にこの方式なら、出たいけど出られないで嫌な思いをする人もいなくなるかと思った。

参加者にいっぱいのドラマが数日の間に沸き起こったように、「ちょっと休憩するか」と森田さんがひっこんだ楽屋でも緊迫する場面はおきていた。

「困ってみよう」「こまったときにこそ、人は思いもかけないアイデアがひらめくものだから」が、ワークショップの一貫したテーマでもある。

今回の三重は、参加者の飲み込みもよく、軽々と段階をあがっていった。初日を終わったころには、大枠のプランが森田の中にはできあがったらしい。しかし、思惑を上回る参加者の勢いに、見えかかったゴールは突然、陳腐に思えたのだろう。森田さんは、なぜか不機嫌に塞ぎこんでしまっていた。

かたちになりかけたものを捨てようとしていた。無口にタバコをせわしなく口に運ぶ森田さん。捨てるのはいいが、あとが浮かばない。

「ここを避難所にしてしまったらどう?」

プロデューサーの森田清子さんが森田の横に立ち、アイデアを出す。

避難所という設定にすれば、百人を超える参加者を全員舞台にあげることもできるし、稽古を積んだ、日常の意味のない会話が意味をもってくる。

黙って聞いていた森田さん。しばらくして、「よし、それでいこうか」というと車椅子を回転させ、会場へと向かっていた。イッセー尾形のチームは、こんなふうに、壁にぶちあたるたび、引いた目線で見ていた誰かが助けをだす。意見が整わないこともある。それでも、こんなふうにして30年間やってきたというのがわかる一場面でもあった。

このあと、沈みかけていた空気は弾みだす。ただし、落とし穴もあった。設定を打ち明けたため、その後の稽古は「避難所」を意識したものとなり、失速しかかる。それもあとになって振り返ると「困ってみる」ステップになっていたようにも思える。もちろん、うまくいったから言えることだけれども。当事者である、森田さんはずっと必死だったと思う。

初日の舞台を終えたあと、二日目の本番を前にした楽屋は明らかに変わっていた。ワークショップの始まったころには、森田さんに当てられ、うつむいて何もいえずに「パス」を繰り返していた中学生の男の子が、ちゃんと顎をあげ、大勢の人の輪のなかにいた。大きな練習室が大部屋の楽屋に詰め込まれ、思った以上に舞台の上で、力が発揮できたこともあってか、ガヤガヤザワザワとしていて活気づいていた。おやつを分け合い、行き交う人たち。ほんとうの避難所みたい。初日の舞台の出演できなかった人たちも、二日目のリハーサルのときには、なんとかもぐりこんでやろうと自分から前向きになっていったりしていたのも、いい感じだった。

「上がり性の人ほど、本番になると激変するからね」

 何度か森田さんはそう言っていた。大きな声さえ出たら、絶対に出すからとも。台詞らしいものはできていない。それでも断言してしまえる根拠は何なのか。不思議でならなかったけれども、実際の舞台、緊張しながらも一言しゃべりだすと、お客さんの笑い声に助けられ、しゃべらなかった人がどんどんしゃべりだす。とまらないくらいに。はにかんだあとに、花がさいたようの笑顔となる。それが伝播していくのをこの目で見ると、人はちょっとしたことで変われる、変われるんだということに納得した。

本番のときには、イッセーさんが演じる、エアロビクスダンサーの相棒と、老齢の女性シンガーのマネージャーで舞台に出させてもらいました。アドリブがきかず、ただそこにいるだけ。ふだんは笑われると傷つくのが、笑いが起こるとホッとする。エアロビのときには突然「帰れ」コールに気持ちは「困ったな……」状態で二人して舞台から引揚げるとき、被災地でこんなふうに立ち去っていった人たちがいたかもしれない。そんな思いでいたら、イッセーさんが小声で、「落ち込むよね」。イッセーさんがワタシより、がっくりきていたのに救われました。二日目の本番では、シンガーにアンコールがかかって、「どうしょう?」「もどるしかないんじゃないですか」「……」「もどりましょう」って、考えてもいない展開に戸惑ったり。緊張して、上がり性だということすら忘れていました。

もうひとつ、出番の前にイッセーさんのカツラを借りたときのこと。こんな具合でいいかなと尋ねると、「ああ、いいんじゃない」そっけない生返事。自分のライブでもない、素人の人たちと混じるだけなのに台詞を何度も口にして、出番前の緊張でイッパイイッパイというのがわかったのも、これまでの取材では見ることのなかった場面でした。

そうそう。最後の交流会。百人を超える人たちの自己紹介。最初の日の「何か、いってよ」「つまんない」というのが利いていたのか、好きと告白されるサラリーマンを演じた男の人が「裁判官」ですと言うと会場がどよめき、小学校で絵を教えているという先生が、偶然にも教え子が参加していて緊張したとか。ひとりひとりの話す口調に特色があり、歓談の場となって、足が不自由な女性がこのワークショップで旧友に出会ったとかで、二人がぴったりくっていて話していた。そんな風景が脳裏に浮かんでいます。

誰かが、喜怒哀楽をぜんぶ味わいましたと言っていたけれど、数日の間に、ひとりひとりがドラマを生きていたんだなぁと思いました。最初は、歩幅もちいさく歩いていた人たちが、終わったころには、すっすっと、心地よさげに歩いていたのが印象に残りました。

感想まで。みなさん、ありがとうござました。