委員会のいる風景
昼の稽古は、おとなしく「歩き」で始まる。舞台上の他人を上手く掴むための大事な手段だ。しかし、目的はあく迄も歩きではなく、他人の歩き方をする時実感する違和感を掴む事だ。何時もながらあっさり終わる項目だ。
演出家の森田が早速次の科目を探す。この地方にはどんな祭りがあるかと聞くや否や、小さなお祭りに纏わる各種委員会を考案するようそそのかす。「何でもいいから」というと、早速出て来たのは、ごみ拾い委員会、運営委員会、豚汁委員会、フリーマーケット委員会等だ。各考案者に、その委員会の具体的な目的を説明してもらった後、残りの者に、自分も入りたい委員会を選んでもらう事にする。
人気の豚汁委員会とは対称的なのは、資金などを工面する目的の運営委員会だ。悲しい事に、参加者は考案者である英語達者な年配男性本人だけだ。これを見た森田が楽しそうに、「現実もこうだ」と言い、寂しさに耐えている考案者を、「心配しないで、一人ぼちにされるその姿が演劇の中でも多いに役立つ」と励ます。
休憩に入ると、楽屋ではスタッフのogoちゃんがチラシを作っている。なぜか、いままでのワークショップとはちがって、新潟公演のチケットは未だ数百枚もあまっている。このままで勿体無いし、参加者達が可哀想だ。役者は観客からエネルギーを得てこそ飛躍できるので、後で皆にもそのチラシを渡し、友人や家族等に声掛けてもらうつもりだ。
楽屋から舞台へ戻ると、スタッフが地元のイベント屋から借りたテントが、舞台の真ん中に立っている。その両脇に立つスタッフと参加者が、紅白幕と紺白幕を持ち上げ、客席の最前列の真ん中に座っている森田にみせている。舞台袖には、運動会用の巨大な大玉が鎮座している。こんなに舞台装置を使うのは、新潟が初めてだ。
稽古が再開すると参加者達は、先ほどの「委員会」別にわかれ、各グループが打合せをし始める。それぞれのグループが、まるで夏の自由研究を計画している小学生のようにはしゃぎ、活気溢れている。その光景を側から見る森田が、笑いながら「打合せをしてもしょうがない事はすぐ分かるよ」と忠告する。やがて「さあ、やってみよう」と言うと、展開されるのはたしかにとても芝居めいたおシーンだ。
「はい、結構です。明後日本番だよね。で、二千円取るのよね。これ、取れないよね」と森田が笑い、テントの中を指さす。「椅子を並べてみて。偉い人が来るのね。で、また来てないの。いまの芝居をそちでやってみて。」
設定がはっきりすると、いきなり芝居が引き締まり、立て続けに色々な場面が生まれる。側から見ても、森田の演出は見事だなと感心する。
お葬式の場面では、客席側にあった受付がテントの裏へ移動し、テントの後ろにあるベンチが表舞台となる。受付の前をとおる行列が背景となるので、幕は要らない。客席の数カ所から、その場面を見ている参加者達がお経をあがる。本番の時は、音楽隊がこの効果音を担当する事になる。
群衆シーンとはいえ、各場面は小さな出来事の連続だ。喋りながら舞台へ現れる男女、お葬式で久し振りに会う友人、陽気な家族等が、次から次へとピックアップされ、全体の流れに組み込まれる。かなり複雑な構成になりそうだ。
稽古が終わると、出来たてほやほやのチラシが皆に配られる。表には今までの各地の公演の抜粋、裏には新潟ワークショップの稽古写真が載っている。参加者の数は百人以上なので、一人あたり五人も誘えば500人の集客となる。折角だから、なるべく多くの人に見てもらいたい。しかし、説明を聞いているかどうかもわからない程、チラシに載っている自分の写真に夢中になっている参加者もいる。大事そうに鞄にしまうのを見ると、配らずに記念として取っておく人も居るだろうと思い、笑いそうになる。
音楽隊志望者は増え、岡田さんと相談している。サックス、ミニベル、ささらや民族楽器等だ。このまま行くと、今までにない程大所帯になるかもしれない。

今回も挑戦する他人歩き。見本に成りきれられたらそれに越した事はないが、とにかく自分の中の他人を意識できれば成功。

いくつかの「委員会」に別れる参加者。お祭りの運営委員会員は、一人だけだ。「現実もこんな物だ」、と森田が言う。

急遽、地元のイベント屋から舞台装置として借りたテントと垂れ幕。後、不要になった幕が姿を消す。

第一稿では、お葬式の受付が表に配置されていた。しかし、面白いのは建前ではなく、舞台裏で揺らめく本音。

森田が舞台配置を180度回転させると、観客が目の当たりにするのは各イベントの舞台裏。その方が自由な組み立てが期待できる。

少しずつ見えて来る人間模様。メンバーが一人入れ代わるだけで、家族の表情ががらんと変わる。

新潟ワークショップの公演チラシを渡された参加者。その視線は、舞台稽古の写真に引かれる。