星のした
会場に入ると、稽古場の片隅には四脚の椅子で組まれた「舞台」があるのを見て、いよいよ今日から本格的な作品作りが始まろうとしていると思う。
ところが、一組目が舞台に並び、演じ始める否や、演出家の森田は早速駄目出しをする。二人の、苺狩り中心の会話は余りにも日常的過ぎて面白みがないからだ。皆がもう一度円陣に戻り、キャラクターを思い出す稽古を始める。
一緒にいたくない、居心地の悪い人物の名をあげ、その口調などを真似る。この稽古は各地のワークショップでも行っている。各自、一通りそれなりの人物を演じてみせると、一端休憩にはいり、皆が再び集まると森田は舞台に一番乗りしたい志願者はいないかと聞く。ところが、手を上げる者はいない。
奇妙な不安を感じるが、しかたがない。再び円陣に戻る。今度は、昔覚えた、時代を感じさせる歌を鼻歌で歌ったり、古典や詩等を唱えるなどしながら、その所々で思い付いた台詞を喋ってみる。歌の雰囲気とは対称的なものでも、何となく連想されるものでも良いが、演技めいた言葉や、わざとらしく結び付く言葉だけは禁物だ。
この稽古をする内、いくつかの可能性が見えて来るので、もう一度舞台稽古に挑戦する。しかし、やはりはっきりした作品が生まれて来ない。どうやら、しようとしている事のイメージそのものがはっきりしていないようだ。十秒で「駄目」が出る組もいれば、一分ちょっと頑張って、「何とかなるかも、もう少し探ってみると良い」もいる。少し笑いをくすぐる事があっても、本当に印象に残る作品は何故か生まれて来ない。
難しく考え過ぎているのだろうか。それとも、以前のワークショップの倍も時間を掛けたせいで、のんびりとした安心感が生まれているのだろうか。もし安心し過ぎていたのなら、今日でその安心感が飛んで消えるはずだ。一回目の公演はもう明後日だ。
一つのパターンでは、さえない男が女性を星の見える所に誘い、相手が聞きたくもない星座の話をする。男性の「寒いかな」という問いに、女性は明らかに嫌がる様子で「少し」と答える。ここで森田は、「嫌なのになぜ来たのですか」と聞く。問題の鍵はそのひと言にあるように思える。
初めてだと、無我夢中で、とっさに出て来る言葉をたよりに、互いに反応しあうので、自然な緊張感が想像力を刺激する。今までは、その緊張感から生まれる劇的空間を森田が把握し、最小限の指示によって形成し、芝居に仕立てて行ったのだ。
しかし今回は、その域を越えてみようとしている。
最初は、太宰治や恋愛をテーマに決めていたものの、このワークショップはイッセーさんの作品同様、本番まで流動的であり、舞台上でも変わりえる性質を持っている。鉄筋で固めた脚本の枠内でどのような表現をすれば良いかを探っているのではなく、自然に沸いて来る想像をどう掴んで具現化するのかがポイントとなるだろう。

今日の一つ目の作品の「苺狩り」は、全く発展しない。その奥になにも感じられないからだ。次に手を上げる者がなく、全員が円陣稽古に戻る。

もう明後日本番なのに、まだ作品が一つも出来ていないのに、顔色一つ変えない演出家の森田はただ者ではない。しかし、今迄ののんびりしたペースは今日変わりつつあり、追い込みに入る気配が感じられる。

好きでない相手と星の見える場所に来た女性。寒いのに、相手の事が嫌いなのに、何故来たのかさえわかれば、物語が進展するかもしれない。

皆に順々に昔の曲を歌わせる森田。歌の合間に、思い付いた台詞を入れると何故か色々な事が頭に浮かぶ。想い出と想像力を同時に活性化する試みだ。

打合せをしながら、次から次へと挑戦者が現れ、、、

、、、あたって砕ける。何か重い惰性が働いているのか、なかなか方向が決まらない。何故だろう