散歩中の乱察

ホテルのフロントで、タクシーを頼もうとすると、来るまで十五分位かかるらしい。ミラージュホールへの距離は約三キロとなると、歩いても約三十分位でしょう。会場へ徒歩で行く事にする。

交差点には国道8号を渡る横断歩道がないのに少し驚く。反対側へ渡るには、トンネルをくぐるしかない。ここは、車優先だ。もっとも、どんなに歩いても、自分以外に徒歩者はいない。また、トラックの多さにも驚く。田舎とはいえ、交通量は少なくはない。道路沿いには果樹園、温泉、工務店、そして色々な病院の大きな看板が乱立している。

イッセーさんのネタの中には、田舎を旅しているストリートミュージシャンが間違って魚津で降り、思い付きで作った魚津の歌が噂になってラジオ出演する事になるのがある。都会育ちのストリートミュージシャンからみれば確かに田舎にうつるだろうが、私が育った環境からみると、決してそうではない。少なくともこのあたりは、田舎の気配を残した工業化地域の様に感じられる。

何故か精神科、精神内科、そして老人医療の診療施設の看板が目立つ。高齢化が進んでいるのだろうか。大光寺あたりのトンネルに入らず、その横の階段を登ると、トンネルの上に公園が有ることを発見する。雪には、一人だけの足跡がある。何となくこれ以上乱したくないので、その足跡にあわせて歩き出すと、右側に見える病院の窓からお爺さんとお婆さんがこちらを見ている。

もう一つ橋を渡ると今回の会場であるミラージュホールだ。まだ時間があるので、道向こうのいくつかのショッピングセンターを探検する。各地の店においてある商品の違いから色々想像するのが好きだ。今はおひな祭りの時期なので、展示されているおひな様を見回る。繊細で美しいものから、モダンで意表をついているものまであるが、共通点は全てコンパクトに出来ている事だ。やはりここも広々とした家が少なくなっているのだろう。

しかし、会場へ戻り、稽古が始まると、皆が思い出す物語ははやはり古く、大きな家で展開している傾向がある。薄暗い大きな和室の奥にある仏壇。家から離れたかわや。山道を歩いて辿り着く祖父母の家。富山の薬売りをしていたお爺さん。昨日よりも思い出す風景が鮮明だったりする。思い出す作業を繰り返しているせいか、二日目の夜、寝ようとすると死んだ爺さん婆さんがみんな出て来て、朝まで話しかけていたと言う参加者もいる位だ。

稽古の内容そのものは昨日とほぼ同じだが、後半には舞台に座布団を敷き、家族を作ってみたりする。今はここへ来る途中にあったような病院や老人ホーム等に暮らしている事が多いお爺さんお婆さん達が、家族と一緒にいる風景が繰り広げられる。舞台上に表れるお爺さんよりもお婆さんの姿の方が明らかに多いのは何故だろう。

ある男性参加者のお婆さんはとても写実的だ。歩きだすと、本当にお婆さんが目の前を横切っているように感じる。その後もいくつかの家族構成を試みるが、ぱっとしないので、他人の歩きをまねてみる事にする。今回の個性派代表として選ばれたのはある若い女性だ。

歩きの稽古が終わると、もう終わりの時間に近いのだ。芝居に使えそうないくつかの要素は出来ているが、そのまま出せる作品はまだない。いつもの事ながら、進歩は徐々に起きるのではなく、起きる時は飛躍的だろう。イッセーさんと演出家の森田は今日の感想をのべ、今日の稽古は終わる。

イッセーと参加者
今日の稽古も、思い出すところから始まる。聞く方も、自然と目をつぶってしまう程集中する

指示する森田
演出家の森田は、話す参加者に静かに指示し、先へ進む突破口を待つ

岡田と参加者
他の人の稽古を見ると、表情が静かだ。自分でやっている時よりも色々判って来る

家族
最初は、なにもしなくて良い。黙ったまま舞台上で何か起きる事を待つ

腰の曲がったお婆さん
森田が、「お婆さんとして歩いてご覧」と言うと、参加者の男性は見事な動きを見せる

演出家の森田
三日目の締めくくり。「祖父母」、「田舎」と「里帰り」が出て来そう。明日は、来られる人だけ、昼も稽古をする。