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2007年3月 大阪・梅田の黒い山脈
ベルリンから帰国して四日後には大阪・梅田の路地裏に迷い込んでいた。
ドイツの旅で印象的なことは「静けさ」だ。ネオンのほとんど無い街。石の建物の中にも外にも人声は記憶にない。街の中心に車さえ入れない地区もある。
静寂はドイツの誇れる特徴かもしれない。
その耳で日本に帰ると、街に流れる数種類の音楽、安売りの叫び、注意を促すアナウンス、歩きながら携帯に向かって話している人の声が重なり、まるで覚めない夢の中を移動しているようだ。
大阪は、それに加えてソースの香りも元気のよさを伝えてくる。
だからこそ、ふと迷い込んでしまった一角の無言の黒い塊に吸い寄せられたのだろう。
表通りのにぎわいに揺れもせず立ち尽くす数人の男たち。黒ずくめの服は支給されるのだろうか、全く同じいでたちだ。一月の寒空にも微動だにしない。いったい何時間この体勢を保っているのだろう。キャバクラの呼び込みの方々らしいのだ。
沈黙のまま空を見つめる。通りすがりのこちらを値踏みしてあえて声を掛けるのをやめたのだろうか。あるいは「決して強引ではありません。しかも年配だから安心です」とかのイメージ戦略なのだろうか。
「キャバレー呼び込み」をかつて想像してネタを作ったことがある。派手なはっぴに鉢巻きをして「現役スチュワーデスのアルバイトだよ。さあ素人の娘さんと夜間飛行」などとしゃべり続けた。けれど、現実の迫力には圧倒される。
十五年前、初めてニューヨークで公演した時、長く日本に滞在した後で故郷に帰った数人のアメリカ人が懐かしそうに言っていた。
「日本人のサラリーマンのことをニューヨークに住む者は『サバ群団』と呼んでいる。紺の背広にしまのシャツ。そして群れで動くからね。君の演じる人物にはその最後尾の気弱な人物、あっちにこっちにとうろうろする人、先頭で不安そうに行き先が決められないリーダー、さまざまを感じるよ」
この梅田の路地裏群団の前からは恐ろしくて走り去ったのだったが、ホテルに帰って思い出しただけでくっきりと表情が再現できた。
個性を無くすかのような服を押しのけても現れ出る人生の重みこそ、呼び込みにふさわしいのか。制服は実は最も「その人らしさ」を表現するキャンバスなのかもしれない。
(共同通信社 2007年3月配信)