2007年4月 赤坂のファストフード

 

 東京の中心、国会議事堂の足元の繁華街に、百七十席の小劇場がオープンした。新ネタ下ろしの拠点にと、こけら落としの大役を仰せつかった。

 ファストフードの店に入るのは、いつもの僕の習性。赤坂の店のカウンターに並ぶ女性店員たちは、原色のユニホームに紙の帽子といった制服だが、立ち姿が今どきの日本の若者と違うのがすぐに分かる。

 機械的なマニュアル応対という先入観のせいか、片言の日本語と恥じらいのある笑顔で「何になさいますか?」と問われただけで、何もかも注文してしまいそうだ。

 三寒四温の三月初旬だったためか、訪れるスーツ姿の客にはマスクが目立つ。(何を食べようか)と考える目の表情がいかにさまざまあるか、を発見する。

 客が選んでいる間、外国人のアルバイト嬢はいら立ちのかけらも見せない。彼女たちに見つめられてるマスク客の「無言」に僕は思いを巡らす。

 僕のステージでは一人の人物を演じた後、舞台の袖のコーナーで次の人物に変わるための、着替えとメーキャップの無言の「間」がある。観客からは「あの時は、何を考えているのか?」との質問が少なくない。そう聞かれて初めて意識して考えたが、僕にとってはほとんど一瞬の出来事だ。が、実際は四、五分もの長さがあるという。

 最近は逆に「見ている皆さんは、何を考えているのかな、と思います」と答えている。

 当然、大勢に見られてる「無言の時間」はさまざまな思いが錯綜する。新ネタ下ろしの時は、次に演じるセリフを思い返す。あまりに頭の中が真っ白で、予定のセリフどころではない自分の状態に驚くことが多い。(ええぃっ、出れば何とかなる!)と舞台に飛び出すことがほとんどだ。再演の場合は、反省と不安の時間になることもある。(次のネタ、次のネタ)と我に返ろうとする。

 「着替えてるイッセーさんはすてきでした」と言われたりすると、その方の想像力が勝ったのだというしかない。無言に対して、何かを想像しながら見つめている行為は、きっと無限の豊かさを秘めているのだろう。

 語りすぎて、伝えすぎてしまう日常から離れて、それでも「その人らしさ」を分からせてくれるのが「マスクのシーズン」と言えるのかもしれない。ファストフードでメニューを選ぶあの瞬間は無為の時間だ、と言える。

 僕はマスク客に、それぞれの人生を想像してしまった。

(共同通信社 2007年4月配信)