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週刊朝日「週刊図書館」
ニコール・クラウス著、村松潔訳「ヒストリー・オブ・ラブ」
本書は一筋縄ではいかない小説だ。おおまかに三つのジャンルとして読めるのではないだろうか。
一つは「悲恋物語」として。成就されぬ恋に感情移入は充分に可能だ。
六十年前、ポーランドの寒村で愛し合った少年と少女が、ナチスの侵攻によって引き離される。少女はニューヨークに、少年は森に身を隠す。
故郷の村は蹂躙され、身寄りをなくした少年が、アメリカの少女の自宅を訪れると、彼女は結婚していて、少年との間に身ごもった子どもの為に、新しい環境で暮らしていた。
再会の場面はこんなふうに描かれている。
《「いっしょに来てくれ」と彼は言って、手を差し伸べた。(中略)「できないわ」と彼女は言って床を見つめた。「そんなこと言わないで」それで、彼はそれまでの生涯でいちばんむずかしいことをやった。帽子を取って、その場を立ち去ったのである》
個人にはどうすることもできない大きな外部の力が、二人の間を引き裂いていくという「恋愛小説」の定番が、力強く全面に出ている。
もう一つ、「推理小説」の読み方もできる。
老いて死を意識しするようになり、自分の存在をこの世に残したいと思うようになった錠前屋の、少年時代に書き上げた小説『愛の歴史』が、何人もの人たちの人生を変転させていく。イディッシュ語で書かれた小説は、本人の知らないうちに、南米チリでスペイン語で出版されていた。
《いったい何がどうなれば、おれが六十年前に書いた本が別の言語になって、おれの郵便受けに届いたりするのだろう?》
どうして出版されたのかという、作品にまつわる犯人探しのようなストーリーも満喫できる。
そして、もう一つ。大部分のページを割いているのが、現代の都会に住む思春期の少女の語りだ。
七歳にして父親を亡くした早熟な女の子の、トラウマ克服の物語としても読める。父親の死後、母親は引きこもり状態となり、弟は自分は「神の使命をおびた」存在なのだという強迫観念にとりつかれている。
そこに、問題の小説『愛の歴史』の翻訳の仕事が、不思議な依頼主から母親に舞い込む。この依頼主は「足ながおじさん」のようであり、個人的に読みたいというシンプルな理由から、望むままの報酬を約束する。
少女は、この『愛の歴史』が、父親と母親を結びつけた重要な本であることを知っていた。「アルマ」という彼女の名前は、小説のヒロインから付けられたものだった。思春期の少女は、ナゾの依頼主に、亡くなった父親の代理を見つけようとする。
という具合に、ざっと挙げただけでも多彩な要素が完璧なまでに網羅された小説なので、単純な切り口では感想を語ることはできない。一方で、演劇という、時間とともに消えて行く仕事をしている身からすると、「創作物は誰に帰属するものか?」ということを考え続けた。
芝居は、創作者の側が「見せてあげる」のではなく、その日の観客が想像の中で創りあげるものだということを実感しているからだ。その日の、その場所によって、同じ台詞にもかかわらず、作品は別物となる。
本書では、老人となった主人公の親友が移民した地で、託された原稿を己の作品として発表したという経過が話を複雑にした真相なのだが、主人公はその盗作行為をとがめてはいない。むしろ肯定している。
この『愛の歴史』という小説はそもそも「言葉によらないコミニケーション」を主旨としたものだ。
《人間の初めての言語は手振りだった》と書かれた一節がある。国は違っても「沈黙」が意味するところは共通であり、言葉は所有の概念にあたるものだという主旋律が流れている。
何の為に、誰の為に創作するのか。「書く」という根本の問題に挑んだ作品だという気がしてならなかった。
(朝日新聞社「週刊朝日」(2007年2月2日号)掲載)